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7月20日(米時間)タイガース戦で日米通算500本塁打を達成した松井選手。
その後 本拠地で行なわれた記念セレモニーで「ベースボールレジェンド(野球界の伝説)」と紹介され、 アスレチックス球団から 巨人とアスレチックスのロゴ入りクリスタルバットのトロフィーが贈られました。
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このコーナーは、松井選手が人生の中で心の糧としてきた言葉や信念をご紹介するものです。
いじめ問題や夢を持つ事の大切さを記した子どもたちへのメッセージなども交えて展示しております。
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石川県の新しい観光ポスターに松井選手登場です。松井選手は石川県の観光大使を務めており、 兼六園や山中温泉など県内の名所とともにふるさと石川県をPR。 松井選手が手に持っている色紙「さあ 僕のふるさと石川県へ」の文字は松井選手の直筆です! 石川県には美しい風景とともに様々な伝統工芸・文化、美味しい幸がいっぱい。皆さん、是非石川県に遊びにいらして下さい♪
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2010年ニューヨークタイムズに最も多く掲載された日本人記事面積ランキングで、松井選手は第4位に選出されました。 この賞は、テレビ東京「この日本人がスゴイらしい Brand New Japan」の番組が集計したもので、 松井選手はこの年ニューヨーク・ヤンキースからロサンゼルス・エンゼルスに移籍したものの、松井選手を放出したことを嘆く記事が多く掲載されました。
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2009年11月4日、ヤンキースタジアムで行なわれた大リーグワールドシリーズ(7回戦制)の第6戦。 ヤンキース(アリーグ)はフィリーズ(ナリーグ)を7-3と破り、4勝2敗で9年ぶり27度目の優勝を決めました。
この試合4打数3安打6打点と大活躍した松井選手。このシリーズ13打数8安打、打率.615、3本塁打8打点の成績を残し、 日本人選手初のシリーズ最優秀選手賞(MVP)に選ばれました。
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アメリカメジャーリーグ(MLB)の2009ワールドシリーズは、松井選手が所属していたニューヨーク・ヤンキースが 球団通算27回目の優勝を飾りました。 ヤンキース球団では、この年の選手と球団関係者全員に恒例の優勝記念リングを贈呈しました。
左の写真は松井選手に贈られたリングです。このリングはミュージアムにて展示しております。
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2010年3月、キリンビバレッジの缶コーヒー「FIRE」のキャンペーンで突如、新宿駅前に登場した「BIG MATSUI」。 そのBIG MATSUIが持っていたバットが今回ミュージアムに登場しました。 BIG MATSUIはバルーンで作られた巨大な松井秀喜人形。その大きさは全長10mもありました。
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ディマジオ氏は1936年~1951年までヤンキースに所属していた選手で、56試合連続安打やMVP・首位打者・本塁打王・打点王を 獲得するなど活躍しました。 また、ディマジオ氏はグランドでの態度やファンへの対応も誠実でとても素晴らしく野球選手の鑑とされていました。
旧ヤンキースタジアムに展示されていたディマジオ氏の言葉のプレートは、現在当ミュージアムに展示されています。
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2007年度の石川県観光ポスター。「石川とニューヨークの真ん中に、僕がいます。」のキャッチフレーズのとおり、 松井選手の右側は石川県の名所「兼六園」、左側にはニューヨークのマンハッタンの 美しい風景が広がっています。 故郷を大切に思いながら異国の地で夢を追う松井選手。「野球を通して日本とアメリカの架け橋になりたい」そんな松井選手の想いが 伝わってくる石川県のポスターです。
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2004年1月24日、松井選手は全米野球記者協会ニューヨーク支部からグッド・ガイ賞を受賞しました。 この賞は、全米野球記者協会(BBWAA)が取材対象である選手の人柄を評価する賞で、過去にハンク・アーロン氏、ビート・ローズ氏と いう名選手も選ばれています。 日本人選手では1999年の吉井理人投手(当時メッツ)に続く二人目の受賞です。
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2004年、松井選手はヒューストンのミニッツメイドパークで開催されたMLBオールスターに最終投票で「32番目の男」として出場しました。 2年連続出場となった松井選手は9回一死一塁で出場。9-4でア・リーグが勝ちました。
このオールスターで勝ったリーグに所属するチームには、ワールドシリーズのホームゲームアドバンテージ (第1.2.6.7試合を本拠地球場で開催する権利)が与えられます。
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2004年3月30日と31日の両日、ニューヨーク・ヤンキースとタンパベイ・デビルレイズ(MLB ア・リーグ)は 東京ドームでシーズン開幕戦を行いました。
前年に東京読売ジャイアンツからニューヨーク・ヤンキースに移籍した松井選手には凱旋の試合になりました。
松井選手は31日の第2戦で、ジェレミー・ゴンザレス投手から開戦第1号の2ランホームランを放つなど活躍し、MVPに輝きました。
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MLBオールスターは、ナショナルリーグとアメリカンリーグ、両リーグの選抜チームによる対抗試合で、1933年に第一回大会が開催されました。 毎年7月にファンによる投票や監督の推薦等で選ばれた選手によって、一晩限りのドリームチームが結成されます。
松井選手は、2003年シカゴUSセルラーフィールドで開催されたオールスターに7番センターで初出場。新人ではただ一人の先発メンバーに選ばれ、 初打席で左前打を放ちました。
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松井選手が試合で使用する野球用品(バット・グローブ・スパイク・手袋等)は全てミズノ社製です。 この足型は松井選手のスパイクを制作する際に、足型モデルとして松井選手の足から再現したものです。
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松井選手は、1993年1月1日~2002年11月30日までの約10年間、東京読売巨人軍に在籍しました。
その記念として巨人軍の選手会より松井選手へ在籍記念の盾が贈られました。
巨人軍に在籍した10年間で松井選手は、首位打者に1回・本塁打王に3回・打点王に3回・最高出塁率に3回輝きました。
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毎日スポーツ人賞は、スポーツを背景にした幅広い分野で優れた実績を挙げた個人や団体を顕彰する賞です。 2002年、松井選手は毎日新聞の読者が選ぶファン投票の結果、「毎日スポーツ人賞 ファン賞」に選ばれました。
また2009年にはワールドシリーズで日本野球のレベルの高さを世界に示し、多くの人を歓喜させたとして 「毎日スポーツ人賞 特別賞」の表彰を受けました。
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現代の日本プロ野球の生みの親として知られる正力松太郎氏の業績を称え、1977年から表彰が始まった賞で 「日本球界最高の賞」とも言われています。 松井選手は日本シリーズでMVPを獲得した2000年に、この正力松太郎賞を受賞しました。
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昨年松井選手は念願のワールドチャンピオンに輝き日本人初となるMVP賞を獲得しましたが、 当館では2000年の日本シリーズで松井選手が獲得したMVPトロフィーも展示しております。 この年の日本シリーズは、長嶋監督率いる「読売ジャイアンツ」と王監督率いる「ダイエーホークス」の対戦となり、 「ON対決」としても大変注目を浴びました。結果は読売ジャイアンツが4勝2敗で勝利。6年ぶり19度目の日本一に輝きました。 松井選手も3本塁打8打点と活躍し、最高殊勲選手賞MVPを獲得しました。
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2000年、松井選手は全試合で4番を務め、セ・リーグのホームラン王、打点王の2冠を獲得しMVP(最優秀選手)にも輝きました。
故郷石川県ではこの活躍に対し、県民栄誉賞を創設。その第一号として、松井選手は谷本県知事から記念の盾と賞状をいただきました。
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2000年、松井選手は「センチュリー20世紀ベストナイン」に選ばれました。
20世紀最後の歴史的な年を記念し、一般投票と選考委員によってポジション別に20世紀を代表するベストプレーヤーが選ばれ、 松井選手は外野手部門でイチロー選手、張本氏とともに受賞しました。
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松井選手は巨人時代セントラル野球連盟から次の記念賞を受賞しました。
150号本塁打記念賞 1998.7.28
200号本塁打記念賞 1999.9.21
250号本塁打記念賞 2001.4.12
300号本塁打記念賞 2002.7.19
1000本安打記念賞 2002.7.12
1000試合出場記念賞 2001.4.12
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ニッセイ月間MVP賞は、日本生命保険が冠スポンサーとなった賞で、シーズン中の4月~9月の各月ごとに 活躍した投手・野手1名ずつに与えられる賞です。
松井選手は、'94年4月、'96年7月8月、'98年5月、'01年9月、'02年7月8月、計7回受賞しました。
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IBMプレイヤーオブザイヤー賞は、IBMベースボールインフォメーションシステム(IBM BIS)が選ぶ賞で、 公式記録員がつけるスコアカードからデータをコンピューターで「BISポイント」に置き換えて評価される賞です。 BISポイントとは、投手・打者の活躍度をイニング・得点差・塁上の走者などの要素を含めて表す偏差値のようなもので、 松井選手は、1996年・1997年・1998年・2000年の4回受賞しました。
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ゴールデンスピリット賞は報知新聞社が1999年に制定した日本のプロ野球選手の社会貢献活動での優秀者を表彰する賞です。 いじめの防止、撲滅を訴えてきた松井選手は、ゴールデンスピリット賞が制定された1999年に第1回受賞者として選ばれました。
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松井選手は1998年に、本塁打王・打点王の二冠に輝きました。
二冠を記念して、星稜高校野球部OB会より二冠達成記念トロフィーが贈られました。
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松井選手は巨人時代、94年からメジャーに移籍する02年まで9年連続でオールスターゲームに出場しました。 95、98、99年には各試合に1名選出される「最優秀選手賞」を、96、97、98、01、02年には、各試合に4名選出される「優秀選手賞」に 選ばれました。
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松井選手は巨人に在籍した10年間('93~'02)に、セントラル野球連盟からベストナイン(外野手部門)に8回選出されました。
(選出された年次は次の通りです)
'95年 '96年 '97年 '98年 '99年 '00 '01 '02
写真の盾は、'02年のものです。
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松井選手は1998年10月12日、石川県根上町(現・能美市)大窪昭二町長より町民栄誉賞の贈呈を受けました。
受賞の主な理由は次の通りです。
読売巨人軍 松井秀喜殿
あなたはプロ野球読売巨人軍に入団以来ホームラン王をはじめとし数々のタイトルを獲得する等その輝かしい活躍は郷土根上町の知名度を向上し 町の活性化と町民に感動と活力を与えた功績は誠に偉大なものがあります。
よってここに町民栄誉賞を贈りその栄誉を讃え表彰します。
石川県根上町長 大窪昭二
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1996年、松井選手は97得点303塁打と好成績を残し、巨人軍OB会からその年活躍した現役選手に贈られる銀バットの贈呈を受けました。 この年の巨人軍は日本シリーズで惜しくも優勝を逃しましたが、松井選手は「MVP」「7月・8月月間MVP」「最優秀JCB・MEP賞」 「IBMプレイヤー・オブ・ザ・イヤー賞」「東京ドームMVP」「ベストナイン」等たくさんの賞を獲得しました。
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このトスマシーンは、松井選手が小学校6年生の時お父さんに買ってもらったものです。 当時、根上少年野球クラブの主将だった松井選手は野球の練習が終わり帰宅した後、さらにこのマシーンで打ち込みに励みました。 巨人入団2年目の不調時には実家からこのマシーンを取り寄せ、試合が終わった後、寮の地下室で一人打ち込んでいたこともありました。
松井選手にとってこのマシーンは良きパートナーでもあったのです。
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